そういえば、先日ニュースで流れた
ダイヤモンドの鑑定書問題について
うちの店での取り組みについてご紹介します。
http://sophy.otemo-yan.net/e311087.html
ニュースで取り上げられて
どのように店として対応しないといけないのか
日々いろんなニュースが流れていますが
こういった真摯な対応をしていることはニュースでは流れないですよね
それでは、市民はどんどん世の中に対して不安になるだけではないか。。。
うちの店をとはいわないが
きちんと対応していることも大きく報道して欲しいなあと思う。
2010年11月3日水曜日
「桂花ラーメン」頑張れ!!!
確かに、桂花ラーメンの味は落ちたのかもしれないなあ。
小学生の頃食べた味は、もっとスープに味があったような。
実家に帰ったときに食べたスープはどうも表面的な味のような気がしたんですよね。
askUの口コミでもそんなことを何年も前に書いた気がするし、
もしかするとこのmixiの日記にもそんなことを書いたかもしれません。
でも、昨日今日のニュースで桂花ラーメンが民事再生法を適用ということをきいたときは、時代の変化で失って欲しくないという想いがよぎりました。
思い出
自分の実家の店
http://www.ceres.dti.ne.jp/~sophy/
から歩いて1分のところに桂花ラーメンの本店があって
もう、幼稚園のときからお世話になっていました。
いまは名称が変わりましたが
ウーシャンローセットはいつもの定番でした。
現在はディーディーセット(弟弟定食)
母と一緒にいったことを昨日のことのように思い出せます。
実はそのころの店員さんがまだ本店で働いていて
懐かしい話で盛り上がったこともありました。
熊本を離れているからこそ
より熊本には頑張って欲しいと思うのでしょうねえ。
これはノスタルジックな思いも含まれているのでしょう。
小学生の頃食べた味は、もっとスープに味があったような。
実家に帰ったときに食べたスープはどうも表面的な味のような気がしたんですよね。
askUの口コミでもそんなことを何年も前に書いた気がするし、
もしかするとこのmixiの日記にもそんなことを書いたかもしれません。
でも、昨日今日のニュースで桂花ラーメンが民事再生法を適用ということをきいたときは、時代の変化で失って欲しくないという想いがよぎりました。
思い出
自分の実家の店
http://www.ceres.dti.ne.jp/~sophy/
から歩いて1分のところに桂花ラーメンの本店があって
もう、幼稚園のときからお世話になっていました。
いまは名称が変わりましたが
ウーシャンローセットはいつもの定番でした。
現在はディーディーセット(弟弟定食)
母と一緒にいったことを昨日のことのように思い出せます。
実はそのころの店員さんがまだ本店で働いていて
懐かしい話で盛り上がったこともありました。
熊本を離れているからこそ
より熊本には頑張って欲しいと思うのでしょうねえ。
これはノスタルジックな思いも含まれているのでしょう。
2010年10月10日日曜日
ロバパンの歌をふと思い出した
ロバのパン屋さん
あの耳になじんだ音楽が
遠い会津の地でふと思い出された
ロバのおじさん チンカラリン
チンカラリンロン やってくる
ジャムパン ロールパン
できたて やきたて いかがです
チョコレートパンも アンパンも
なんでもあります チンカラリン
赤いくるまを チンカラリン
チンカラリンロン ひいてくる
ジャムパン ロールパン
あまくて おいしい いかがです
チョコレートパンに アンパンに
どちらにしましょう チンカラリン
いつもにこにこ チンカラリン
チンカラリンロン こんにちは
ジャムパン ロールパン
さあさあ みなさん いかがです
チョコレートパンと アンパンと
ハイハイありがと チンカラリン
晴れたお空に チンカラリン
チンカラリンロン 鈴がなる
ジャムパン ロールパン
よい子のおやつは いかがです
チョコレートパンも アンパンも
なんでもあります チンカラリン
なんか、いい曲なんですよね (^^)
あの耳になじんだ音楽が
遠い会津の地でふと思い出された
ロバのおじさん チンカラリン
チンカラリンロン やってくる
ジャムパン ロールパン
できたて やきたて いかがです
チョコレートパンも アンパンも
なんでもあります チンカラリン
赤いくるまを チンカラリン
チンカラリンロン ひいてくる
ジャムパン ロールパン
あまくて おいしい いかがです
チョコレートパンに アンパンに
どちらにしましょう チンカラリン
いつもにこにこ チンカラリン
チンカラリンロン こんにちは
ジャムパン ロールパン
さあさあ みなさん いかがです
チョコレートパンと アンパンと
ハイハイありがと チンカラリン
晴れたお空に チンカラリン
チンカラリンロン 鈴がなる
ジャムパン ロールパン
よい子のおやつは いかがです
チョコレートパンも アンパンも
なんでもあります チンカラリン
なんか、いい曲なんですよね (^^)
2010年7月14日水曜日
参議院選挙 野党が勝利
ねじれ国会になりましたね。
政治家は税金をより効率的に国民のために利用できるように知恵と工夫を凝らすために選ばれた人たちですよね?
民主党の事業仕分けは、やれ人気取りのためのショーだとかいっているけども
ずいぶんと税金の無駄(民主党のものさしで)が削れたではないか。
いままで自民党はそういったことをしておらず、毎年兆のつく単位の税金を無駄にしてしまっていたということを考えると、とてもまだ自民党に投票する気にはなれなかった。
政治と金の問題というけども、自民党にも過去に同じような経験がありませんか?
同じ政治家が何度も当選するという仕組みを変えて
国会議員は5回までしか連続で立候補できないとかしばりを加えたらどうでしょう。
あと、僕がいつも思うのは
政治家と金が結びついているが
官僚と金というのは結びついていないのだろうか?
僕にはあの各省庁のなかに大きな膿がたまっているように思える。
政治家は税金をより効率的に国民のために利用できるように知恵と工夫を凝らすために選ばれた人たちですよね?
民主党の事業仕分けは、やれ人気取りのためのショーだとかいっているけども
ずいぶんと税金の無駄(民主党のものさしで)が削れたではないか。
いままで自民党はそういったことをしておらず、毎年兆のつく単位の税金を無駄にしてしまっていたということを考えると、とてもまだ自民党に投票する気にはなれなかった。
政治と金の問題というけども、自民党にも過去に同じような経験がありませんか?
同じ政治家が何度も当選するという仕組みを変えて
国会議員は5回までしか連続で立候補できないとかしばりを加えたらどうでしょう。
あと、僕がいつも思うのは
政治家と金が結びついているが
官僚と金というのは結びついていないのだろうか?
僕にはあの各省庁のなかに大きな膿がたまっているように思える。
2010年7月3日土曜日
蜂の巣の駆除
新たにできた蜂の巣を2つ退治しました。
最近は全国的に蜂が少なくて逆に花や果実などの産業では危機感があるということを考えると
心が痛みますが
それでも、わが子やわが妻が家の周りを散歩しているときに
刺されでもしたらと思うと・・・
去年から現在の住まいにいるわけですが
去年は2つ
今年は3つ
蜂の巣ができていて、こんなにも簡単にできるものかと思いました。
僕の実家はもっと人工の建造物が多いところですが
数年がかりでできてであろう巨大なハチの巣や
気が付いたらできたハチの巣などありましたが
蜂工の建造物のスピードや意欲がこちらはハンパありません。
ちなみに、退治の仕方を紹介します
時間帯は夕方とか暗くなってからが良いです。
夜は特に活動性が落ちているためチャンスといえるでしょう。
長そで長ズボンや帽子などで逆襲に備えましょう
キンチョール(でOKです)で遠目から風上から吹き付けて護衛の蜂を一掃し
ほうきなどで巣を落としましょう。
もし、巣があまりに巨大な場合は、業者に頼みましょう。
以上、蜂の巣退治でした
最近は全国的に蜂が少なくて逆に花や果実などの産業では危機感があるということを考えると
心が痛みますが
それでも、わが子やわが妻が家の周りを散歩しているときに
刺されでもしたらと思うと・・・
去年から現在の住まいにいるわけですが
去年は2つ
今年は3つ
蜂の巣ができていて、こんなにも簡単にできるものかと思いました。
僕の実家はもっと人工の建造物が多いところですが
数年がかりでできてであろう巨大なハチの巣や
気が付いたらできたハチの巣などありましたが
蜂工の建造物のスピードや意欲がこちらはハンパありません。
ちなみに、退治の仕方を紹介します
時間帯は夕方とか暗くなってからが良いです。
夜は特に活動性が落ちているためチャンスといえるでしょう。
長そで長ズボンや帽子などで逆襲に備えましょう
キンチョール(でOKです)で遠目から風上から吹き付けて護衛の蜂を一掃し
ほうきなどで巣を落としましょう。
もし、巣があまりに巨大な場合は、業者に頼みましょう。
以上、蜂の巣退治でした
2010年7月1日木曜日
わが子の笑顔
最高に可愛らしい笑顔のわが子
ギリシャ神話を最近読んでいた僕ですが、
その中にでてくるいろんな神様たちよりも
それほど苦難などもなく今現在の幸せな時期を迎えたのかもしれないと
ゼウスは好色で奥さんからきついジェラシーをうまく回避しようと頑張っているし
アポロンは皆に振られてしまうし
まあ、いろんな人生があるけども、いまのところ僕自身はそれほど悪くない人生を迎えているなあ。
今日、誕生日で
30歳となりました!
さよなら、20歳代!
20歳になった時は、10代からわかれを告げたのかと思ったけども
30歳になったら、20歳代にもっといろんなことをしておけばよかったなどど
考えてしまいました。
ま、いま幸せだからいいかあ。
かかか。
2010年6月30日水曜日
英語強化計画
先日、英語で福島の家庭医療や、地域医療のとりくみについて
オーストラリアの家庭医の先生にプレゼンしたが
見事に申し訳ない英語でした。
日常会話で英語を使わないし、最近はほとんど英語を読んでいないとはいえ
どうも苦手です。
毎日、英語に触れること
あと以前からやっているロゼッタストーン(イギリス英語版)をやり遂げること
などをまずは日課にして頑張ろうと思います。
インプット、アウトプット理論で勉強することも大事ですよね。
どうしてもインプット(リスニング、リーディング)の勉強が多くなりがちですが、
英語の日記を書くとか(英文を書く)、英語を話すこと(アウトプット)をすることも重要であると教わったこともあります。
うーむ、頑張ってみますか。
オーストラリアの家庭医の先生にプレゼンしたが
見事に申し訳ない英語でした。
日常会話で英語を使わないし、最近はほとんど英語を読んでいないとはいえ
どうも苦手です。
毎日、英語に触れること
あと以前からやっているロゼッタストーン(イギリス英語版)をやり遂げること
などをまずは日課にして頑張ろうと思います。
インプット、アウトプット理論で勉強することも大事ですよね。
どうしてもインプット(リスニング、リーディング)の勉強が多くなりがちですが、
英語の日記を書くとか(英文を書く)、英語を話すこと(アウトプット)をすることも重要であると教わったこともあります。
うーむ、頑張ってみますか。
2010年6月27日日曜日
第1回プライマリケア連合学会に参加
東京国際フォーラムで開催された第1回プライマリケア連合学会学術学会に参加してきました。
3学会が合併したのですが
それぞれの方向性が異なる所にあるはずなのに、一緒になってうまくやっていけるのだろうか。
おさらいとして
日本プライマリケア学会 → 開業医が多く 地域ケアを重視
日本家庭医療学会 → 若手医師や学生が多く プライマリケアの専門医である家庭医養成を重視
日本総合診療医学会 → 大学病院や研修病院などの中規模~大規模の病院の総合診療科の医師が多く ホスピタリスト(臨床、研究)の養成を重視
という特徴があったと思われます。
それぞれ方向性が違うわけなので、1人の若手医師としては
それぞれの学会に所属する若手がそれぞれの分野を認め合いながら
それぞれの望む専門性を高める研修や研究をサポートしてもらえる学会となってほしいと思っています。
3学会が合併したのですが
それぞれの方向性が異なる所にあるはずなのに、一緒になってうまくやっていけるのだろうか。
おさらいとして
日本プライマリケア学会 → 開業医が多く 地域ケアを重視
日本家庭医療学会 → 若手医師や学生が多く プライマリケアの専門医である家庭医養成を重視
日本総合診療医学会 → 大学病院や研修病院などの中規模~大規模の病院の総合診療科の医師が多く ホスピタリスト(臨床、研究)の養成を重視
という特徴があったと思われます。
それぞれ方向性が違うわけなので、1人の若手医師としては
それぞれの学会に所属する若手がそれぞれの分野を認め合いながら
それぞれの望む専門性を高める研修や研究をサポートしてもらえる学会となってほしいと思っています。
2010年6月25日金曜日
僕にできることは
医師となって2年目だったと思う。
担当となったその日に彼女は急変し、その後はあまり会話もできないようになってしまった。
彼女自身の病状は今まで担当になった医師たちのカルテを読んで熟知していた。
彼女はがんの末期。化学療法も何度かしたが最初の薬だとほとんど効いていなかったようで、抗がん剤の副作用にも苦しめられたにもかかわらず、がんは非常にも進行していった。
今度の新しい薬ではがんに対して奏功したのだが。
確かに、効果があったとしても劇的に治り、また運動したり、1人で買い物になど行けるようになれるとは医師たちは思っていなかった。そんな状態だった。
がんはすでに腹腔内に転移しており(播種)、腹水がたまっている状態であった。それでも新しい薬のあとは、腫瘍の大きさも小さくなり、腹水も少なくなっていた。
容体が悪くなったその日は、以前より指摘のあった両下肢にある血栓(血の塊)が肺に飛ばないように(肺に流れていくと、肺の血管を詰まらせて呼吸ができなくなる)下大静脈フィルターをいれた後の出来事だった。そして、彼女の心臓の左心室内にも大きな血栓があった。
病状が悪化してから、彼女とその姉夫婦との対話が始まった。僕はカルテに書かれている以外の彼女の苦しみをその姉夫婦から知ることとなる。
そう彼女の苦しみは病気だけではなかった。
だんなさんとの不和。それも深刻な関係であった。長年の思いが、最後に出てきていた。当初、だんなさんへ病状は伝えられず、面会もしないような状況になっていた。
子供のいなかった彼女は、犬を飼っておりわが子のように愛していたそうである。
夫に預けられないため、彼女の大事なペットの犬は姉夫婦の宅に預けられていた。
おそらく、全身状態が悪いことと大小さまざまな血栓が脳へとび脳梗塞を起こしたため、会話をはじめ食事もできなくなってきていた。
それでも、僕が病室へ行くとかすかに微笑んでみせた。今日はいい天気であること、窓の外からは丹沢山や大山が見えていることを伝えると、少し体を浮かせるような動作をして自分も見たい様子であった。
彼女の希望は旦那さんのいる自宅ではなく、愛犬もいる姉夫婦のもとに外泊することだった。点滴は抜けないので、自宅でみてくれる看護師さんの派遣サービスを手配した。また都内への移動となるためそういったベットの付いている介護タクシーを予約した。看護師へはどんなケアが必要になるか打ち合わせを行った。彼女は本当に楽しみにしていたと思う。
しかし、前日それまで面会謝絶していた旦那さんが強引に病室へ。姉夫婦と激しい争いをし、そして結局外泊の話は中止となった。その口論も彼女の寝ているベッドの周りで繰り広げられた。
その時間を過ごす彼女の心境を思うと、胸がつまる。
その口論の後、彼女の意識状態が急激に悪くなってしまった。
翌日、夕方回診に行くといままで以上に意識状態の悪い、つまり昏睡状態の彼女がいた。診察してみると瞳孔不動がでていた。脳幹梗塞、もしくは広範な脳梗塞による脳ヘルニア、どちらにしても、もう数日のうちに生命も危ういことが予想された。
自分の中で、複雑な言葉にならない感情があるのをその時感じた。
外泊できていれば。
なぜ、病と闘う彼女を追い詰めるようなことが起こってしまうのか。
複雑な気持ちのまま、上級医と相談し明日家族を呼ぶことになった。
僕は、彼女のベットサイドにクリスマスカードを置いて、その日は立ち去った。
次の日、徐々に呼吸状態も悪くなっていた。脳幹梗塞により、呼吸中枢に影響が出てきたためだ。舌根が落ちており、呼吸数も不安定になっていた。意識はもちろんない。
呼吸もいつ止まってもおかしくないような状態だ。
僕は彼女はきっと愛犬と会いたかったに違いない、その思いを姉夫婦に伝えた。
病棟の婦長とも相談し、愛犬の面会も目をつぶってもらうようにした。(本来は病院の許可が必要)
時間がない。
姉が夫(義理の兄)に連絡し、都内から愛犬を連れてくることになった。(車で1,2時間はかかる)
心肺蘇生はしないことになっていたが、経鼻エアウェイを入れ気道を確保した。
これで少しでも保ててくれれば
愛犬が来る前に、呼吸が止まった。
それに合わせて心拍数も落ちていく。家族に話をした。
「このまま何もしなければ、亡くなってしまいます。愛犬が来るまで呼吸をサポートすれば間に合いますがどうしますか?」
「先生、お願いします」
アンビューを用意し、すぐに呼吸をサポートする。彼女の肺に酸素が流れ込み膨らむ。
もはや僕の手の力のみで彼女は命を長らえさせている。
止まりかけた心臓も復活し心拍数も戻り、顔色も生気を取り戻した。
約1時間、彼女の呼吸をサポートし続けた。
汗が自分の顔を滴り落ちる。手は疲れるが、止めるわけにはいかない。
そして、愛犬の到着。
バックから飛び出してきたその犬は、彼女の体の上にのり、彼女の顔をなめた。
彼女に伝えた。「会いたかったでしょう。今、来てくれたよ。わかるかい?」
彼女に聞こえたのかもしれない。
確かに、彼女はその時、涙を流した。 そう涙を流したんだ。
昏睡状態で、どんなに話しかけても全く反応しなかったのに。
僕は彼女に言った。「よかったね。よかったね。」
そして、顔をあげて集まっている家族に言った。
「もう、彼女は十分に病気と闘ってきたと思います。愛犬がくるまで頑張ったと思います。あとは自然に見守ってあげてください。」
泣きながら、うなづく家族。
手を離す。
その約十分後に彼女は息を引き取った。
家庭医として勉強する前のことだったが、家庭医として大事なこと、患者さんの背景を知ったうえで、患者さんと家族と一緒にいること、一緒に危機を乗り越えることを経験していたのだと思う。
このときは、休日だったということもあり時間が取れたが、通常の日であればこんな時間は取れなかったと思う。しかし、いることで、患者さん自身も家族も「よかった」と言える医療になったと思う。
この最後の数時間は
今も僕の医師としての姿勢に影響を与える経験になっている。
担当となったその日に彼女は急変し、その後はあまり会話もできないようになってしまった。
彼女自身の病状は今まで担当になった医師たちのカルテを読んで熟知していた。
彼女はがんの末期。化学療法も何度かしたが最初の薬だとほとんど効いていなかったようで、抗がん剤の副作用にも苦しめられたにもかかわらず、がんは非常にも進行していった。
今度の新しい薬ではがんに対して奏功したのだが。
確かに、効果があったとしても劇的に治り、また運動したり、1人で買い物になど行けるようになれるとは医師たちは思っていなかった。そんな状態だった。
がんはすでに腹腔内に転移しており(播種)、腹水がたまっている状態であった。それでも新しい薬のあとは、腫瘍の大きさも小さくなり、腹水も少なくなっていた。
容体が悪くなったその日は、以前より指摘のあった両下肢にある血栓(血の塊)が肺に飛ばないように(肺に流れていくと、肺の血管を詰まらせて呼吸ができなくなる)下大静脈フィルターをいれた後の出来事だった。そして、彼女の心臓の左心室内にも大きな血栓があった。
病状が悪化してから、彼女とその姉夫婦との対話が始まった。僕はカルテに書かれている以外の彼女の苦しみをその姉夫婦から知ることとなる。
そう彼女の苦しみは病気だけではなかった。
だんなさんとの不和。それも深刻な関係であった。長年の思いが、最後に出てきていた。当初、だんなさんへ病状は伝えられず、面会もしないような状況になっていた。
子供のいなかった彼女は、犬を飼っておりわが子のように愛していたそうである。
夫に預けられないため、彼女の大事なペットの犬は姉夫婦の宅に預けられていた。
おそらく、全身状態が悪いことと大小さまざまな血栓が脳へとび脳梗塞を起こしたため、会話をはじめ食事もできなくなってきていた。
それでも、僕が病室へ行くとかすかに微笑んでみせた。今日はいい天気であること、窓の外からは丹沢山や大山が見えていることを伝えると、少し体を浮かせるような動作をして自分も見たい様子であった。
彼女の希望は旦那さんのいる自宅ではなく、愛犬もいる姉夫婦のもとに外泊することだった。点滴は抜けないので、自宅でみてくれる看護師さんの派遣サービスを手配した。また都内への移動となるためそういったベットの付いている介護タクシーを予約した。看護師へはどんなケアが必要になるか打ち合わせを行った。彼女は本当に楽しみにしていたと思う。
しかし、前日それまで面会謝絶していた旦那さんが強引に病室へ。姉夫婦と激しい争いをし、そして結局外泊の話は中止となった。その口論も彼女の寝ているベッドの周りで繰り広げられた。
その時間を過ごす彼女の心境を思うと、胸がつまる。
その口論の後、彼女の意識状態が急激に悪くなってしまった。
翌日、夕方回診に行くといままで以上に意識状態の悪い、つまり昏睡状態の彼女がいた。診察してみると瞳孔不動がでていた。脳幹梗塞、もしくは広範な脳梗塞による脳ヘルニア、どちらにしても、もう数日のうちに生命も危ういことが予想された。
自分の中で、複雑な言葉にならない感情があるのをその時感じた。
外泊できていれば。
なぜ、病と闘う彼女を追い詰めるようなことが起こってしまうのか。
複雑な気持ちのまま、上級医と相談し明日家族を呼ぶことになった。
僕は、彼女のベットサイドにクリスマスカードを置いて、その日は立ち去った。
次の日、徐々に呼吸状態も悪くなっていた。脳幹梗塞により、呼吸中枢に影響が出てきたためだ。舌根が落ちており、呼吸数も不安定になっていた。意識はもちろんない。
呼吸もいつ止まってもおかしくないような状態だ。
僕は彼女はきっと愛犬と会いたかったに違いない、その思いを姉夫婦に伝えた。
病棟の婦長とも相談し、愛犬の面会も目をつぶってもらうようにした。(本来は病院の許可が必要)
時間がない。
姉が夫(義理の兄)に連絡し、都内から愛犬を連れてくることになった。(車で1,2時間はかかる)
心肺蘇生はしないことになっていたが、経鼻エアウェイを入れ気道を確保した。
これで少しでも保ててくれれば
愛犬が来る前に、呼吸が止まった。
それに合わせて心拍数も落ちていく。家族に話をした。
「このまま何もしなければ、亡くなってしまいます。愛犬が来るまで呼吸をサポートすれば間に合いますがどうしますか?」
「先生、お願いします」
アンビューを用意し、すぐに呼吸をサポートする。彼女の肺に酸素が流れ込み膨らむ。
もはや僕の手の力のみで彼女は命を長らえさせている。
止まりかけた心臓も復活し心拍数も戻り、顔色も生気を取り戻した。
約1時間、彼女の呼吸をサポートし続けた。
汗が自分の顔を滴り落ちる。手は疲れるが、止めるわけにはいかない。
そして、愛犬の到着。
バックから飛び出してきたその犬は、彼女の体の上にのり、彼女の顔をなめた。
彼女に伝えた。「会いたかったでしょう。今、来てくれたよ。わかるかい?」
彼女に聞こえたのかもしれない。
確かに、彼女はその時、涙を流した。 そう涙を流したんだ。
昏睡状態で、どんなに話しかけても全く反応しなかったのに。
僕は彼女に言った。「よかったね。よかったね。」
そして、顔をあげて集まっている家族に言った。
「もう、彼女は十分に病気と闘ってきたと思います。愛犬がくるまで頑張ったと思います。あとは自然に見守ってあげてください。」
泣きながら、うなづく家族。
手を離す。
その約十分後に彼女は息を引き取った。
家庭医として勉強する前のことだったが、家庭医として大事なこと、患者さんの背景を知ったうえで、患者さんと家族と一緒にいること、一緒に危機を乗り越えることを経験していたのだと思う。
このときは、休日だったということもあり時間が取れたが、通常の日であればこんな時間は取れなかったと思う。しかし、いることで、患者さん自身も家族も「よかった」と言える医療になったと思う。
この最後の数時間は
今も僕の医師としての姿勢に影響を与える経験になっている。
2010年6月5日土曜日
Medical Banana
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